競争からは逃れられない
厳しい現実から目を背けるな
この世の生命体は、すべて競争原理の下に存在しています。
強い動物に弱い動物が食べられ、大きい魚に小さい魚が飲み込まれる。
それでも弱い動物や小さい魚が種として残っているのは、それだけたくさん子供を産むから。
犠牲が多い分を多産でなんとか補っているのです。
あるいは身を守るために葉っぱと見間違うような模様をつけた虫がいたりと、すべての生命体は競争を生き延びようとすることで進化してきています。
それは、バクテリアや細菌のレベルでも同様。
インフルエンザウイルスだって、いい薬ができれば、今度はそれに耐性を持った優秀なウイルスが出てきます。
私たち人類も、そうやって進化してきた。
祖先たちは、猛獣から身を守り食糧を得るために、たくさんの道具を作りました。
さらに人間同士の間でも戦いを繰り返し、そのたびに高度な兵器を開発してきました。
もちろん、私は戦争なんてしたくないし、現代の平和な日本に生まれたことを感謝していますが、生命体である以上、競争の原理原則からは逃れられないと自覚しています。
仕事も恋愛もすべては競争。
私はほかのコンサルタントよりも価値のある仕事をしなければ生き残れないし、自分の彼女をほかの男にとられないようにするためには、それなりの努力をしなければなりません。そしてそうした厳しい現実があるから、私は成長できるのです。
競争はやめて、平和主義でいこう!というのは非現実的
ウソ教育に騙されるな
だから運動会で順位をつけないような教育はまったくのナンセンス。
運動会では足が速い子が遅い子よりも偉いのは当たり前。
1等ならノートくらいもらえて当然なのです。
その子は徒競走では1等でも、算数ではビリかもしれない。
そうやってなんでも順位を明確にしたらいいと思います。
だってそもそも生命体として存在している時点で、あらゆることに順位がついているのです。
たとえば私が100人の同世代男性のグループに入ったなら、身長、体重、収入、IQ、顔、靴のサイズ・・・となにからなにまで順位が付きます。そして、それらの順位には逆転可能なモノが多いから、人は努力ができるのです。
また競争原理は個々人の中でもしっかりと働いています。
昨日は10個しか覚えられなかった英単語を今日は12個覚えられたとか、さぼりたい気持ちに打ち勝ってジョギングをしたとか、私たちはいつも自分自身とも戦っています。
こうした現実を見据えれば、「競争はやめて平和主義でいこう」などという思考は、そもそも非現実的なのだということに気付くはずです。
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