二極化は不平等ではない
ひがみ根性を持つな
ソマリアとかルワンダとか、ほんとに貧しい国で飢えている人々が、先進国の私たちに対して「ずるいな、人生は不平等だ」と感じるのは理解できます。
しかし恵まれた日本に生まれ、特別に健康も損なっていない人間が同じことを言うのはおかしい。
憲法で保障されている平等とは、人権や選挙権、教育を受ける権利といった最低限の基本的なことなのに、みんなそれをはき違えているように思えます。
いま盛んに言われている収入格差の二極化が、不平等社会の産物だという考え方があります。
しかしこの世に金持ちと貧乏人が存在することは不平等ではありません。
職業選択の自由という平等精神があり、その結果として金持ちも貧乏人も生まれるのです。
さらには、同じ職業においてもその人の努力次第でいかようにもなります。
たとえばタクシーの運転手でも、ただ漠然と流している人と、乗りそうなお客を察してすっと近寄ってくる人では、稼ぎに違いが出るのは当然です。
また運転が上手で感じが良ければ、長距離客が携帯電話で呼んでくれることもあるでしょう。
だからこうした不景気の時代にも、月収100万円を取れる運転手もいるのです。
「部長がいい仕事をさせてくれない」「俺の企画に限って邪魔をする」
などというサラリーマンの不満も、仕事をさせてくれる場はちゃんと平等に与えられているのに、自分の実力が伴っていないだけの話なのです。
努力で環境は変えられる
自分の努力次第で環境は変えられる
みんなうまくいかないことの理由を環境に求めすぎます。
しかし、豊かな日本においてそれをやるのは筋違いです。
「うちは貧乏で大学に行けなかったから、ろくな会社に就職できなかった」こんな恨み言をときどき耳にします。
自分の不幸は親のせい、あるいは親が貧乏せざるを得なかった社会のせいだと言うのです。
でも日本には奨学金制度があって、実際にそれを利用して大学を卒業した人間はごまんといます。
あるいは大学に行かずに専門知識を身に着けてビジネスで成功した人もごまんといます。
いまの環境を作り出しているのは自分。
あなたが自分の思うように生きることができないでいるとしたら、それは周りのせいではありません。
いかにそりの合わない人がいようと、いかに不本意な評価をされようと、その環境は自分で作ったのです。
逆に言えば、まったく別の環境も、いくらでも作り出せるということです。
だからこそ一刻も早く思考回路を修正しましょう。
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