頭を下げることをいとわない
そんなの楽勝だ
まだ20代の頃、バンジージャンプをやらされたことがあります。
遊園地の絶叫マシンも苦手な私は、岬から遥か下にある水面をのぞき込んですっかり震え上がりました。
絶対にやりたくないと。しかしほかにやる人がいません。
覚悟を決めて飛んでみたら、想像を超える恐怖。
なぜか鼻水がドバッと出て、服がぐちゃぐちゃになりました。
もしもう一度やれと言われたら土下座して許してもらいます。
あの恐怖を考えたら、土下座なんて100回でも200回でもできます。
だから忘年会でも芸でもやらされるのが嫌だとか、下手なカラオケを歌わされるのが苦痛だとか言っているのを聞くと、「そんなの楽勝だよ」と思わずにいられません。
「そんなことをするために会社に入ったんじゃない」と大げさに考えるのではなく、「会社に入ったらそんなことをすることもある」でいいではないかと思うのです。
頭はなんのためにある
頭を下げても、心の中で歌っていてもいい
いま、パワハラが社会的問題になっているけれど、私は、自分が損害を与えてしまった相手に土下座をしろと言われたら、喜んでやります。
裸踊りだってします。
それで済むならお安い御用です。
「土下座なんてとんでもない」と思っている人は、おそらくその行為に自分の心を重ね合わせすぎているのだと思います。
そんなことをしたら、自分の心まで腐ってしまうと。
そうではなくて、心はほかの楽しいところに置いておけばいいのです。
土下座しながら、心の中で歌を歌っていてもいいでしょう。
以前元証券マンで税理士の岩松正記さんが面白い話をされていました。
彼は上司からこう言われたそうです。
「頭は使うためにあるんじゃない。下げるためにあるんだ」と。
損失補填が禁じられている以上、お客さんに多額の損害を出させたら、もう頭を下げるしかありません。
罵られてもひたすら頭を下げて、謝り続けて、それでまた信頼回復ができれば次の注文がもらえるそうです。
私はこの話を聞いて、とてもスッキリしたのを覚えています。
なんともシンプルでわかりやすい話だと思ったのです。
私も頭を下げることはたびたびあります。
がやってみると意外にラク。
プライドうんぬんではなく、私がやらかしたことの対価だと思えばそれでOKです。
あなたの頭は、下げるためにあるわけではないけれど、使うためだけにあるのでもない。
せっかく持った頭なのだから、両方やってみたらいいではありませんか。
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