聞かれたことに答えろ
できるの、できないの
先日、ある会社にちょっと難しい仕事を依頼しました。担当者がいろいろと理屈をこねるので、私は率直に尋ねました。「で、結論としては、できますか」それに対して担当者は答えました。「かなり高くなりますよ」私はできるかどうかを聞いているので会って、できるということになったらお金の話をすればいいだけです。私はこの担当者に任せる気にはなりませんでした。
こういう人は結構いて、自分なりに気の利いた先回りをしているつもりなのでしょうが主語と述語がずれています。あくまで」「自分軸」の会話しかできていません。
なぜもっと素直に相手の話を聞かないのか私には不思議でなりません。聞けば有利なことばかりなのに。「クライアントがなにを考えているかわからなくて困っているんです」こんな悩みを打ち明けられることがありますが、聞かないからわからないのです。
あるいは社長のブログを読むだけでもいろいろなことが理解できるはず。そうしたリサーチをしないで、自分の感覚で判断していては、ピントがずれて当たり前です。
相手の望まないことをいくらやっても無意味
インドなら化粧品を冷やす
韓国製の家電製品が売れている理由の一つは、徹底的に顧客のニーズをリサーチしていることにあります。たとえばインド向けの冷蔵庫には化粧品を入れるポケットがついています。気温の高いインドでは化粧品が溶けてしまうので、冷蔵庫に入れたいというニーズがあるわけです。また中東向けに、お祈りの時間にアラームが鳴り、メッカの方角を示す携帯を販売し、音楽好きの多いインドでは大きなスピーカーを搭載したテレビを流通させているそうです。
ここまでやるから売れるのです。一方、日本メーカーは高機能を追求しているけれど、細かいニーズを把握しきれていません。
自分がなにを売りたいかではなくて、相手が何を欲しがっているか。その主語と述語を間違えないために、取引先を自分の好きな人だと考えてしまうのも手です。彼女に喜んでもらいたければ、彼女がなにを欲しがっているかを必死で探るはず。全身エルメスで固めている人にルイヴィトンをプレゼントすればがっかりされるし、映画に行きたがっている人にバラの花束を届けても困惑されるだけです。
こうしたトンチンカンなことをする人に限って「自分はこんなにやっているのに」と嘆くのですが、相手の望まないことはいくらやっても無意味なのです。その勘違いから、一刻も早く抜け出しましょう。
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