冷静に相手を観察しよう
たとえば大好きな人の親戚と考えてみる
私は以前、すごく苦手だったオジサンからお嬢さんを紹介されたことがあります。
みんながそのオジサンを煙たがる中で、私は笑顔で接していたので気に入ってもらえたみたいです。
会ってみたらそのお嬢さんはとても可愛くて、感じが良くてオジサンのことまで好きになってしまいました。
それ以来、どれほどそりの合わない人にも、親戚にすごく可愛いお嬢さんがいるのだと考えることにしました。
それどころか、彼らのことを私の大好きな黒木瞳さんの親戚だと思い込むようにしました。
ひどく感じの悪いお局さんにイヤミを言われたときは、「フーン、瞳さんの従姉妹ってちょっとヒステリックなんだね」
顔を真っ赤にして怒鳴り散らしている上司には、「おいおい瞳さんのお父さん、ゆでだこみたいになっちゃっているけど大丈夫かな」と、勝手にストーリーを作り上げて楽しんでいます。
こんなふうに対処していれば、なにがあっても全然平気。
それにこの方法を用いると、冷静さを失わないでいられます。
たいていの人は、相手の感じの悪さとか怒り度合いに自分を合わせてしまうから、その場がどんどん不愉快になっていくのです。
私のように呑気に構えていれば、それ以上に悪い状態にはなりません。
精神的にきびしいときには無理をせず逃げよう
いちいち気に病むことはない
好きな女性の親戚だと思って冷静に観察していると、同じ怒るのでも、嫌なことを言うのでも、人によって表し方のレベルが違うのだということがわかってきました。
ちょっとのことでいちいち爆発する気の短い人もいれば、ぐっと飲みこんでおいて、あとからそれが倍になって出る人もいます。
つまり基準なんてないのだから、どういう態度を取られようと気に病む必要はありません。
その人なりの感情表現をしているのだと考えればいいのです。
と、ここで大事なことを一つ。
基準がないということは、あなたにはあなたの怒りや悲しみのレベルがあり、それはほかの人とは違うということです。
ほかの人たちにとっては小さなことでも、あなたにとっては看過できないことかもしれません。
自分が精神的に限界に来ていると気づくのも、大事な能力です。
人のことばかり気にしていると、その能力さえ錆びつかせてしまうので注意が必要です。
できれば、ほかの人たちよりも図太く能天気でいてほしいけれど、無理をする必要はありません。
いまの環境に耐えられなかったら去ればいいのです。
その判断をする基準は、あなたのなかにしかありません。
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